Sanctity Wu.Zang State
ウ・ツァン神聖国
都
市
配
置
人口 |
15,0201人 |
平均所得 |
1,7000§/月 |
農業人口 |
6,3008人 |
100.0% |
面積 |
223A(3741km2) |
財源 |
1026,8871§ |
工業人口 |
0人 |
0% |
人口密度 |
673(40人/km2) |
自動車交通量 |
6618 |
商業人口 |
0人 |
0% |
犯罪件数 |
96件/月 |
徒歩交通量 |
16,0150 |
労働者 |
6,3008人 |
電力消費量 |
14,3725MWh/月 |
バス交通量 |
14,9000 |
就業率 |
41.9% |
水使用量 |
5,4250ガロン |
地下鉄交通量 |
6607 |
主要産業 |
農業(砂糖・果樹) |
平均通勤時間 |
75分 |
鉄道交通量 |
11,6960 |
交通形態 |
バス・徒歩型 |
ゴミ蓄積量 |
0t |
モノレール交通量 |
0 |
州都 |
カンマル |
教育指数 |
0 |
フェリー交通量 |
0 |
主要都市 |
なし |
平均寿命 |
96歳 |
トラック交通量 |
2,5760 |
大気汚染指数 |
0 |
貨物列車交通量 |
2,5810 |
気候 |
熱帯モンスーン(Am) |
水質汚染指数 |
289 |
|
|
備考 |
純粋農村 |
都市画像
交通
名所
データビュー1
データビュー2
純農村コラム
ウ・ツァンの紹介
- ・概要
- 大陸南東部に位置。ラマ教ホーラン派の教えに忠実な純農村で、人口はわずか15万人。最大の人口を抱える州都のカンマルでも9800人にすぎない。政治的・経済的に松島王国の影響が強いが、王国植民地の朝霧とは違い、大ラマの君臨する独立した地域である。
- ・地形
- 面積3740平方キロ(223A)と埼玉県程度の広さしかない。大陸南東部のツァン半島に位置する。ツァン半島は、サウスリール山脈の末端部にあたり、西はタンバレード大洋(ウ・ツァンでは南海と呼ぶ)、東はメララーデ湾(同じく東海と呼ぶ)、南東にはマラリア島が位置する。
※ウ・ツァンの面積は、湖沼を含むと225Aになる。
- ・気候
- 熱帯モンスーン気候(Am)で、12月〜2月の乾期を除き年中高温多湿。
ほぼ全域が熱帯モンスーン気候(Am)。北西部へ行くほど雨が少なくなり、サバナ気候に近づく。サトウキビやバナナが栽培される。
カンマル町の気温と降水量
月 | 気温 | 降水量 | |
1 | 18.2℃ | 32mm | |
2 | 18.6℃ | 44mm | |
3 | 19.7℃ | 112mm | |
4 | 22.8℃ | 159mm | |
5 | 24.5℃ | 260mm | |
6 | 27.3℃ | 305mm | |
7 | 28.9℃ | 348mm | |
8 | 28.7℃ | 356mm | |
9 | 27.0℃ | 281mm | |
10 | 24.2℃ | 147mm | |
11 | 21.2℃ | 108mm | |
12 | 19.1℃ | 32mm | |
年間 | 23.4℃ | 2184mm | 温量指数=220 乾湿指数=12.1 Am気候 |
- ・政治
-
ラマ教の最高司祭である大ラマ(マグナ・ラマ)猊下の君臨する政教一致の神権政治が行われている。人口が少ないこともあり、さほど複雑な政府組織は持たない。なお、大ラマの敬称は通常は猊下だが、聖下と呼ぶこともある。英語では「Holyness」。
・大ラマ(マグナ・ラマ)
ウ・ツァンにおけるラマ教の最高司祭にして政府の代表でもある。世襲ではなく、ラマ教の高司祭から互選される。任期は終身(自発的退位は可能だが、少なくとも数百年例は無い)で、一度選出されると絶大な(教義に反しない限り絶対の)権威と権力を握る。悪く言えばナチの総統と同じ。
- ・軍事
-
総兵力約1000名。人口が15万と少なく、しかもツァン人は軍人志望者が少ないため、伝統的に傭兵に頼ってきた。
・陸軍
辺境のビエンバル・ランガル・パルヤンの3箇所に駐屯地が存在し、歩兵戦闘車48両とグルカ歩兵1個大隊(3個中隊・約500名)が配備されている。
・空軍
パルヤンに空軍基地があり、3機の輸送機と約10機のアメリカ製F-5戦闘機が配備されている。
F-5は老朽化しているため、韓国製A-50超音速攻撃機の導入が計画されている。
A-50は、高等練習機T-50の派生型であり、機関砲や爆弾を搭載、戦闘機・攻撃機・偵察機の機能を果たすマルチロール機である。マラリアの「南風」と同様の機体であるが、はるかに安価(約20億円)という利点がある(性能もはるかに劣るが)。
・海軍
経済的事情もあり、海軍は存在しない。
- ・経済
- 平均所得1.7万§、就業率42%から推定される平均GDPは1,1000$/人となる。
農業が唯一の産業で、主にメラウィンク方面へ出荷される。商工業は全く存在しない。
農業人口は6.3万人に達し、ワガクニ(29万人)・マラリア(14万人)に次いで3位。小農場が多く、サトウキビや熱帯果樹が生産される。牧場は見られない。
・電力
松島王国により半島中部に原発が建設され、火力発電所は一掃された。これにより、ウ・ツァンの二酸化炭素排出量は大幅に減少した。
・ゴミ
全てのゴミは、数基の大型焼却炉により処理される。
- ・生活水準
- 全住民が貧乏で教育がないが、公害が少ないため平均寿命は長い。
治安はきわめて悪く、犯罪発生率は人口10万人あたり年間767件に達する。
- ・交通
-
公共交通中心型で、バス・鉄道とも多い。
- ・民族・言語・宗教
- かつてのウ・ツァン神聖帝国の民族はツァン人、言語はラマ語(連邦北部で広く通用)だったが、戦後の民族移動(多くの若者がメラウィンクなどへ流出、一方、都市化を嫌うホーラン派原理主義者が流入)により、現在は雑多な民族が居住している。言語はラマ語を公用語とするが、周囲を松島王国に囲まれることから、日本語も普通に通じる。さらに、移民が英語を持ち込んだため、英語も通用している。
・宗教
- ラマ教ホーラン派。神聖な生物とされるラマを崇拝し、自然と農業を大切にする。ホーラン派以外には暮らしにくい社会であり、異教徒はごく少ない。
ホーラン派は農業で生きることを理想とするが、現実にはそれは困難なので、ドルパンなど都市部では信徒の多くは鉢植えを育てたりペットを飼うことで妥協している。
しかし、ウ・ツァンでは社会情勢が純農村の成立を許したため、ホーラン派の教義を徹底した農業社会が成立した。
ウ・ツァンでのラマ教の聖地は、ツァン半島の付け根のシャンドリン盆地。大ラマは、普段はカンマルで政務を執るが、重要な儀式の際にはシャンドリンへ赴く。
特別のルール
・全ての市町村にラマ神殿を建てる。
・商工業の禁止
・行政区の禁止(ただし、住民ゼロの区画は行政区になれる)
ウ・ツァンの歴史
- ・ウ・ツァン神聖帝国の登場
- この地方には、およそ10万年前から人間が住んでいたとされる(石器時代)。
BC4000年頃に土器制作が始まり、やがてドルパンの影響を受けラマ崇拝が広がる。
後にラマ崇拝が暴走し、大ラマの称号を持つ首長が支配する政教一致の神権国家「ウ・ツァン神聖帝国」が建国された。
- ・ウ・ツァン神聖帝国の混乱
- ウ・ツァンは長年にわたって内政を軽視し、支配層は「どの体色のラマが一番貴いか」とか「アルパカは神聖か不浄か」といった問題で政争を繰り返した。
1342年、メタリンピア(後のメタラーデ)との戦争により首都シャンドリンが陥落し、カンマルに遷都する。この時、北部地方(後の朝霧)が荒廃。
16世紀にはヨーロッパ人がキリスト教を伝えるが、なぜかこの地域では普及せず、南部では珍しいラマ教地域となる。
- ・松島王国による併合
- 19世紀、帝国主義時代になっても、ウ・ツァンは相変わらず不毛な政争を続けていた。
1812年、松島王国との会談の場で、時の大ラマが王国の関白太政大臣につばを吐きかけた(ウ・ツァンで、気に入らない相手に対して行う動作)ことが原因で(むろん、他にも理由は山ほどあったが)、王国との全面戦争に突入する。しかし、この頃ウ・ツァンはグアナコ崇拝派をめぐる内紛で崩壊寸前であり、組織的抵抗はできず占領されることとなった。
- ・日本領時代
- 欧米諸国の進出に危機感を抱いた松島王国は、単独で列強になることもタイのような高度な「外交綱渡り」をすることも困難と考え、民族的に近い日本に統合を打診する。1902年、松島王国は日本と合併し、ウ・ツァンも日本領となった。
- ・松島総督府の解体
- 1945年、日本の敗戦に伴い松島総督府は解体され、ウ・ツァンは独立した。さすがに人口10万そこそこのミニ国家で「帝国」を名乗ってもどこの国にも相手にされず、結局国名は「ウ・ツァン神聖国」に落ち着いた。
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